伊勢景教史跡めぐり

この記事をごらんの方はキリスト教徒がなぜ神社めぐりか?と疑問に思われるかも知れません。また福音派、正統派を自負するキリスト教徒から見ると異端視されるかもしれませんが、私たちは純粋なキリスト教徒です。日本の宗教、文化、あるいは日頃接している社会の中にキリスト教の影響を多分に受けているとしたらキリスト教徒として興味を抱かずにはいられません。私たちの文化をもっと知る事によって、キリスト教が日本に与えた影響がどれほど多くあるかを探求し、日本の人たちにキリスト教をもっと身近に感じていただくことを願っています。

前置きが長くなりましたが、景教とは古代の東方キリスト教(キリスト教には西回り「西方」東回り「東方」の二つのルートがあり東回りのキリスト教である景教は遠く中近東からシルクロードを経由し、唐の時代に中国で非常に栄えました(この時景教と名づけられました。日本の江戸時代になって景教碑が発見されました)その後宗教弾圧から逃れ、朝鮮半島を経由してシルクロードの東の果て日本に渡って来たものと推察されます。

記事をご覧の方は日本は仏教・神道の国のイメージがあると思いますが、はるか古代の日本は様々な文化が混在する国でした。特に京都や奈良は元々多民族の町で、国際的な町でした。

唐の長安をモデルにした町といわれています。当時京都の人口の7割から8割までが渡来人またはその帰化人で、この多くは中近東から自由と希望を求めて渡ってきた人たちでした。そしてこの人たちによって様々な文化がもたらされました。

その中で特に有名なのが渡来帰化人秦氏です。秦氏はカザフスタンからシルクロードを経由して4世紀ごろに日本に入ったといわれます。秦氏の入国で日本に中近東や中央アジアの文化(古代キリスト教も持ち込んだかもしれない)が持ち込まれ日本文化の社会、宗教のなかにたくみに取り入れられ咀嚼されてきたものと推測されます。

特に京都にその影響が多く見受けられるほか、伊勢神宮にもその影響がうかがえます。

仏教においては、高野山に真言密教を創建した空海も中国長安で景教の教えを受け入れて、帰国後高野山に真言密教を創建しました。また空海はキリスト教のほか当時の中国に伝わるさまざまな宗教の影響を受けたと思われ真言宗にはキリスト教の影響のほかいろいろなものの混在が数多くあります。 また空海と一緒に中国へ渡った最澄は別に天台宗を創建しています。